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小牧神明社の名で親しまれているが、正式名称は神明社という。​

永禄6年(1563年)、織田信長公が清州から小牧山へ居城を移した際に災害除けのために清州にあった御園神明社を守護神としてこの地に分祀したのが創建とされる。天正12年(1584年)の小牧・長久手の合戦では、小牧山に布陣した織田信雄、徳川家康が崇敬したといわれている。

江戸時代に入り、尾張藩祖徳川義直公がこの地に来遊した折、小牧山の東麓にある神明社を吉祥の社として、牡丹の造花数十本を下賜して子供達に持たせて歌舞させた。後の寛文7年(1667年)には2輌の山車を造り牡丹の造花を飾り例祭日に小牧宿の街路を曳き回すようになったが、これが神明社の春の例祭「神明祭」の起源とされる。現在山車は1輌となったが、小牧市指定有形民俗文化財に指定されており、春の例祭には境内に据えられた山車舞台の上で日本舞踊を披露している。

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